Never Enough

最近ようやく百年の孤独を読み始めました。もらったのは1年前だったか2年前だったか……

 

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実はクリップが11月に旅立ちました。ちょうど17歳ぐらいでした。私が誕生日をうろ覚えだったため、その付近で亡くなったことから満17歳で没ということに都合よく決めました。長生きでしたし、全力で立派に生きたと思います。

亡くなる2年前頃には、老犬になると強まる分離不安の症状が激しくなり、もうほんの少しの時間のお留守番もなしにして、必ず誰かが家にいることにしました。1年半ぐらいの間は、家族の寝室で寝るのでは落ち着かなくなり、若い頃にひとりで寝ていて、日中もほとんどの時間を過ごしたクリップ家の2階ににんげんも誰か1人が寝るようにして、家族でシフトを組んで回していました。病院の定期的な血液検査でも「この年齢にしてはすごくいい数値ですよ」と褒められ続けていましたが、晩年はさすがに腎臓の値が悪くなり、最初は病院に通っての皮下補液を続けていましたが、本犬が車での外出も病院もものすごく嫌がるようになって、最後の半年は、3人がかりで自宅で補液をしていました。

 

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皮下補液というのは、犬や猫のぶあつい皮をつまんで、皮と肉との間のスペース(人には存在しない場所)に針を刺してしてお水を入れるのですが、クリップは、まあサイズ的にもにんげんが抱っこするにはちょっと大きいので、もともと抱っこも嫌だし抱えられて動けなくなることも大嫌いで、でも針を刺すし、さらに水を入れ切るまで10分ぐらいはじっとしていてもらわないといけないので、がっちり固定する必要があるのですが、老犬になってきかんぼうになったので、ものすごく抵抗します。聴覚や視覚など、もろもろの感覚が弱くなっているのでいろいろ怖かったんだろうとも思います。それで、私が一番かじられる危険の高い保定係を、フロントネックロック的なプロレス技風にまず頭をきめて、いぬの足腰がつらくないように自分の膝にのせ、ぎゅっとつかまえておくわけです。そしてクリップかあさんが緊張の針刺し係。クリップとうさんは高いところから補液のパックをぎゅうぎゅう絞って時間を短縮する係です。慣れてくると「これで握力ついてゴルフの飛距離が上がるかも!?」というような軽口も出ましたが、特にかあさんは最初は心理的負担が大きく大変でした。どんどん上達しましたが、やはり嫌がる相手に針を刺すのはしんどいものです。とはいっても、針を刺されていることはいぬはあまり気づいていないと思うのですが(失敗しない限りたぶん痛くない)、とにかく保定されていることに怒っているわけです。だから保定をほどくときに気を抜くとまず私をかじりにきましたね。確実に。嫌なことをしていたやつが誰かがわかっているわけです。なので終了後は必ずバニラアイスかプリンをちょびっとあげてご機嫌をとっていたのですが、その役目も私にして、株をあげなおすようにしていました。効いていたかどうかわかりませんが。

そんなに格闘してまでする必要があることなのか、ということももちろん考えました。クリップはすでに充分長生きしていたので、苦しい治療をしてまで延命を図るというつもりは家族の誰にもありませんでした。ただただ、できるだけ心地よく、痛いことやつらいことを少しでもなくして日々を過ごしてほしいとだけ思っていました。そう考えると、1日10分15分ぐらい我慢してもらえば、それ以外の時間があきらかに快調そうになる補液をなくすというオプションはありえませんでした。本当に、するとしないのとでは全然調子が違うんです。補液がないとぐったり寝てばかりになるけれど、補液をするとぐんぐん歩けるようになります。だからQuolity of lifeをあげていた、という気持ちで、もちろんしない場合と比べて結果的に命もながらえたことは明白ですが、とにかく苦しくなく過ごしてほしかったのです。まあ、おとなしく寝たまま刺されてる老犬や老猫もたくさんいるらしいので、うちのような老暴れ犬でなければもっと楽なのかもしれませんね……!

 

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亡くなる直前は比較的穏やかに、ゆるやかにすべての機能が低下していった感じでしたが、ここ3年ぐらいの間に、3回か4回ぐらいかなあ、ごはんをまったく食べなくなるようなことがあって、食欲魔人が彼の基本姿勢だったのでとにかく心配して、そのときは病院で点滴をして1日かけてお薬とか入れてもらって、少し経つとまた食べるようになって、というような復活劇を何度も見せてくれていました。もともとの食欲があったからこそのなせるわざなのかもしれません。

最初にまる1日食べなくなったときから、すでに老齢の域に入っていたので、ああこれはもしかしたら、と最悪の事態も当然想定しました。それが複数回あって、がんばってくれているけど、もういつ何があってもおかしくない、だから全力ですべての一瞬を大事にしよう、と思い続ける日々を過ごしていましたが、自宅での皮下補液を決める直前のハンスト状態のときには、病院で「この値だと急変も覚悟してください」と言われてしまい、何度も散々覚悟はさせられていたと思っていたのに、猛烈に動揺してしまう自分がいました。なんの覚悟もできていなかった、そのことを思い知ってまた愕然としました。ハンストから3日目ぐらいにようやく食事を食べ始め、このままだと尿毒症のような状態になって苦しむから、と説明を受け、それで自宅での毎日の補液を決めたのでした。

以降、体調は低調とはいえ安定しますが、基本的に食欲は落ちていたので、痩せないように、ささみの茹で汁につけたカリカリをあげたり、カリカリをふやかしてブワブワにしたり、チャムに変えてみたり、手を替え品を替え、手に載せたフードを口元に運んでごはんをあげていました。手から食べる様子はかわいかったし、よく食べると嬉しくて家族で共有するのですが、なにか彼の中で決まりがあるらしく、この人からはこれしか食べん、というようなことが多く、共有してもあまり参考にならないところもありましたね。このへんが彼のわけのわからないところのひとつでした。少し痩せましたが、足腰も同時に弱っているので、筋力に応じた体重に自分で変化させていたのかもしれません。

 

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お散歩もけっこうぎりぎりまでしていました。お気に入りの電柱まで連れていって、よそのいぬのお手紙読んで、すぐ帰って、それだけでも、少しでもいいかなって。少なくとも私は幸せでした、クリップと一緒に歩けて。

 

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昔はドッグランや公園にも行ったけど、日々のお散歩でよその動物に会うのが一番面白かったような気もします。ここのジャックラッセルちゃんとか。やぎもいたことあったしね……!

 

 

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そしてクリップは、小さい頃にしっかりしつけスクールに預けてトレーニングを受けたので、体のどこを触ろうが何をしようが決して怒らないいぬでしたが、それでも老犬になると、すでに述べたようにおそらく感覚の衰えと相まってまわりの多くのことを恐怖に感じ、ひとにもアタックすることがありました。シャンプーとか決死の覚悟でしたね、にんげんは。これが小さい頃から触るのが大変だったりしたら、年取ったらどうなっていたことだろう……と思うと怖いです。そして、吠えない訓練がしっかり入っているためか、夜泣きは一切ありませんでした。これは助かりました。

 

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めちゃんこ小さいころ、母犬ヒカルの飼い主さんに抱かれるクリップ。色が違って別のいぬみたいに見えますけど、この足袋、尻尾の先の白、クリップです。ちっちゃーーい!! まさか両親より大きいいぬになるとは想定していなかったが…… (父は柴、母はポーリッシュローランドシープドッグ)

 

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母犬ヒカルと別れクリップ家に向かう前日。大暴れして電池が切れるとコテッと寝てました。大暴れの最中はぶれて写真撮れず、この頃は寝てる写真ばかり。

 

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きみのおかげであみぐるみの本を出すことができたよ。すべての編み物のお仕事のきっかけでした。ありがとうね。

 

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ほとんどの時間を、陽気で愉快ないぬとして過ごし、超絶ポジティブシンキングでまわりの人間はみんな自分にとっていいことをしてくれると期待し続け、めしをできるだけ多く食いたがり、おやつもほしい、食べられるものはみんなくださいと要求し、なでてほしいから人の手の下に頭を自分から入れて強引になでさせる、とにかくハッピーないぬでした。補液やら寝るときの番やらは、私は介護のうちには入らないと思っていて、もっと本格的な、立てなくなったいぬを支えたり、おむつを替えたり、なんでもしたいと思っていたのですが、そこまでの介護にはなりませんでした。クリップに必要なことは、ほかの何を犠牲にしても何でもすると心に決めていました。彼は元気な頃、どんなときでも呼ぶと必ず来るいぬでした。だからクリップが助けを必要な時には、いつでも絶対に駆け寄ってなんでも手伝おう、と決意していました。それでも、クリップは最後の最後まで自分で立ってひとりでしっこしてふんして、ぱたりと倒れそうになったから寝かせて、するとなんだかおかしな感じがしたのか、虚空を手で掻くような動作をしたのですが、立たせたら倒れてしまって危ないので、まずは寝なさいと横倒しにして、なでて落ち着かせて、そうしているうちに、ゆっくりと心臓が止まり、今世での旅を終えたようでした。

大きな病気はしなかったけど、最後の方はもうよろよろで、それでも、ぼんやりと壁や私によっかかってハアハア言いながら休憩したり、ぱたりと倒れて好きなところで寝たり、眠くてむにゃむにゃしていたりする様子も、なにものにも喩え難いかわいさでした。よろよろでも、1日でも長く生きていて欲しかった。叶いようもない願いですが、ずっとずっと一緒にいたかった。

だからいなくなってしまって、ずっと泣いてます。いまもつらい。クリップが生きていたときには、初代の蘭丸くんはあんなことしたりこんなことしたりしてかわいかった面白かった、という話をよくしたのに、クリップを亡くしてからは、蘭丸も失っているという事実が胸に突き刺さり、二重に悲しいのです。

 

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亡くなったその日は、自宅に戻りましたが、とにかく何もしていないと泣いてしまうので、かといって複雑なことなどできず、ひたすらに部屋を片付けました。このときに片付けすぎたというかやはり意識がプッツンしていたので、上の2つの写真のソックスとカバーソックスがどこかに行ってしまっていまだに出てきません。捨ててはいないはずだが……

クリップがいる間はとにかく自分が倒れてはいけない、お世話ができなくなるから、と気を張って過ごしていましたが、死んでしまい、本当に驚くほど、自分に対してなげやりになりました。もちろん仕事はきちんとしないといけませんが、それ以外を無視しました。12月に展示会 “THE WOOL SHOW” を控えていたので、その準備には集中できるタイミングでしっかり取り組んで、でももう無理はできるはずがないと観念し、展示する商品の数なども少し絞りました。そしてクリップが亡くなったことは誰にも言いませんでした。会場で声をかけられたりしたら泣いてしまうからです。仕事で外に出ている時間が終わると、まったく自分に気を使わず、カップラーメンやレトルトばかり食べて、予定がなければ何時まででも寝て、めちゃくちゃな時間に起きて早朝まで仕事をしたり、これ以上できないぐらい自分に対してなげやりになりました。蘭丸が亡くなったとき、私は20歳ぐらいで、自分が一度壊れた、という感覚がありました。あのとき完全に人が変わったと思います。でも今回は、そういう感覚にはならなかったけれど(一度壊れ終わっているからかもしれません)、自分をいたわる心が一切自分の中に残りませんでした。悲しい、さみしい、つらい、という感情以外のことを考えている余裕はまったくなく、全力でさみしさと対峙していました。それができる力はあったのだと思います。蘭丸くんのおかげかもしれませんね。

 

犬と過ごす日々は、これで充分ということはなくて、できるならばなるべく長い方がそれだけ幸せです。でも自分が先に亡くなるわけにはいかないから、責任を持ってしっかり看取って、あとは必要なだけ悲しみ、時間が過ぎたら、またかわいいかわいいと思う気持ちに凌駕されることになるでしょう。敬愛する須賀敦子さんの随筆に、正確な文言は思い出せないのですが(どの本かも見つけられず……)『大切な人を失ったら、その存在が大きければ大きいほど、しっかり悲しむ時間こそが必要なのだ』という趣旨のことが書いてあり、私は非常に胸を打たれ、この言葉を大事に心の中にしまってあります。この須賀さんの言葉に出会ってから、大きな喪失に沈んでいる人に、「悲しまないで」「元気になって」と簡単に言いたくないという気持ちが強くなりました。私は自分が悲しいことをごまかさず、じっくり悲しんで、存分に送ってあげようと思っています。私なりの供養です。

クリップに直接会ってくださった方も、遠隔でかわいがってくださった方も、彼は超ウルトラポジティブなので全部自分にいいように受け止めていたと思います。本当にありがとうございました。どうか私には何もお声をおかけくださることなく(泣いてつらいので)、お心の中でクリップのことを思っていただければ幸せです。

 

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あばよ!!!

 

 

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